生きるための思い出と物。そしてパンツ。

日記

少し前にめずらしくテレビを見ていたら、街頭で道行く人に「ごめんなさい」って思っていることを告白してもらうっていうコーナーをやってた。
普段地上波のテレビってうるさく感じちゃって、いつもならTwitterだったりアビスリウムだったりに逃げる私なんだけど、ちょうどその時に告白してる女の子の話が気になった。
その子は隣にいる彼氏に「元カレの写真をまだ保存していてごめんなさい」って告白してた。私、それはごめんなさいなのかな??って思ったんだよね。

 

その子は7年付き合った元カレだって言ってた。それはもうその子の一部じゃん。その写真は元カレが写っているかもしれないけど、彼女自身のその時の思い出が詰まった写真でもあるんだし、今も会っていて浮気してるとか、未練があるとか、そういうのがないなら消しちゃうのはどうかなって思って。

自分と出会う前の人生もその人の一部だし、自分をパートナーに選んでくれたのも、これまでの人生やらなにやら全部があってこそなんだと思うから…まるっと大事にしておきたいじゃない。
元カレの写真?持っててよいよい!…でも、見えないところにこっそりね。スマホには入れないでクラウドとか…普段見えないとこに保存しような!

まぁ、その子のことは私よく知らないしさ。消してスッキリー!ってなってるなら、それはそれでいいと思うんだけどね。隣の彼氏くんも消してほしそうだったしさ。
ただ、恋人やパートナーの過去に手を出すときは慎重にな…それはその人間の一部だぞって思ったのよ。

 

こういう風に思うのは、私が全部消しちゃったからなのかもしれない。
少し前にも書いたけど、私は身辺整理という名の「自分の死を意識した徹底的な断捨離」を3年少し前かな…にしてしまって、それ以前の思い出のものとか自分の生きてた痕跡というか、そういう物がほとんどなくなってしまった。実家に置きっぱなしになっていた少しの写真と物だけが残っていて、それだけでも残っていてくれて本当に良かったと思ってる。

人の記憶って時が経てば経つほどどんどん曖昧になっていくし、特にその時をそのまま保存してくれる「写真」っていうのはやっぱり大事にした方がいい。
…思い出せないことばっかりなんだよ、私。記憶も一緒に捨てちゃった気がする。

 

写真とか、思い出のものとか、好きで集めていたものとか、趣味のものとか、服とかが一気になくなっていくにつれて、自分の存在感もなんだかふわふわしてきて不思議な感じになって…もういつでもここを離れられる…みたいな…なんて言うんだろう。全部が軽くなってしまった。

当時会った人にも、めちゃめちゃ笑って遊んで帰ってたんだけど「あの時はバイバイって言った後、もう会えないような気がした」って言われるから、周りから見てもそんな感じだったんだと思う。物を捨てながら、自分の一部も捨ててしまっていたのかもしれない。

 

どんなものでも自分が選んで手に入れた持ち物はその人をその場に留まらせる重しみたいなものになるんだと思う。その場っていうか、この世っていうか。それがまったくなくなった状態ってすっきりもするけどすっごく軽くて、ちょっと怖かった。今、生きていられて本当に良かった。

 

そんなことがあった私だから、その番組の「7年付き合った元カレの写真を消す」っていうのに反応しちゃったのかもしれない。その人に必要な重しが何なのかは人それぞれだけど、私は写真っていう「見える思い出」は、消したり捨てたりしてしまって後悔しているもののひとつだから。

 

だから今、私はめっちゃ写真撮るし、インスタにも上げるし、イベント、水族館、映画などの半券、貰ったプレゼントについていたリボン、嬉しいことがあった日に食べていたケーキの飾りなど、なにかしら楽しいことがあった日は、小さいものを箱に入れてとっておくことにしている。靴が入っていた箱を使っているので小さいもので「2018」って書いてある。こうやってまた持ち物や思い出を増やそうとしてる。
もちろんこのブログも、そうやって増やそうとしたものの1つ。

先日衣替えをした。冬服はもらったものばかりで自分で買った服はほとんどなかった。ここも少し自分らしいものを増やしたいな。

…っていうか、こんな短いワンピース着てたのか!!みたいのが出てきてびっくりしている…物もこだわりも捨てて…恥まで捨ててたんだろうか(汗)あれ、腕をあげたらパンツ見えるやつだもん…。

みんな自分らしく、自分と周りの人の「思い出」「好きなもの」を大事に、パンツはなるべく見せないように、生きていこうな。